非日常
非日常は日常の隣り合わせ。
突然やってくる。そして知らぬ間に日常に戻ってる。
真実は無い、事実しか無い
この世の中に、真実は無い。事実しかない。
あなたが今まで見てたもの、聞いて来たもの、学んで来たもの、全て事実。
真実は、人が考えた理想的な事象で、現実には、存在しない。
そう思った経緯を。つらつらと。
ニュースが伝えるもの
いろんなニュースが世の中流れています。芸能ニュースから悲惨な事件まで。
あなたは今までそのニュースを便りに世の中を把握してきてはず。
『俳優のAさんとモデルのBさんが不倫!』
うーん、本当に不倫したんですかね?たまたま友達と飲んでて、たまたま2ショットを取られただけじゃないんですか?不倫したのは真実ですか?
『〇〇国の反日運動が活発に。経済への影響が懸念されています。』
本当に活発になったんですかね?現場にいって見ました?前と後で活発具合の比較をちゃんとしました?
そうニュースが伝えただけですよね。あなたが確認出来ない事を伝えてくれるのがニュースの役目ですもんね。あなたが現地にいって確認しなくてもいい。
じゃあ、もし、ニュースが全て作られた嘘だったとしたら?
そんなことはあり得ない、と思いますよね、さすがに。
では、全てじゃなくても、そのうちいくつかが(一つでも)作られた嘘だったとしたら?
あなたは、ニュースを通して真実を得た"つもり"にさせられただけ、ということになりますね。しょうがない。確認しようがないですから。真実かどうかなんて。
では、あなたがニュースから得たものは、真実ではなく、単なるニュースが流した(真実のような)事実、と言えませんか?
100%起こったと言える真実かどうかは、確かめようがないんです。
時間の真実と事実
未来の出来事
明日の天気は、分かりません。降水確率0%と言われても、雨が降らないとは限らない。
100%晴れる、または雨が降る、と言い切れる事はありません。
では、明日、あなたが生きている確率は?
100%では無いですよね?事故に巻き込まれるかもしれない。心臓麻痺になるかもしれない。99.9%生きているとしても、0.1%死ぬ。
100%なんて無い。
100%起こること、なんて無い。
今健康だし、家にずっといるし、明日もきっと生きてるだろうに違いないと思える事実しかありません。
過去の出来事
1ヶ月前に食べた晩ご飯思い出せますか?覚えてる人がいたらすごいですね。
じゃあ、忘れてる人。何も食べなかった?そんなこと無いですね。何か食べた。でも何を食べたか?思い出せない?それって、食べた、と言えるんですかね?
では、もっと近くで、1週間前、あなたは晩ご飯に何を食べましたか?
思い出した料理、本当に食べましたか?100%間違いなく食べましたか?
その記憶、6日前と間違えていませんか?誰かの話と記憶がすり替わってませんか?
では、3日前だとどうですか?自信は何%ありますか?
1ヶ月前にくらべて、日が近づくにつれ、100%に近づいていきますよね?では、いつ100%となるのでしょうか?99.9999999%でもなく100%です。
昨日なら言える?本当に?夢の記憶である可能性ないですか?夢でないと言い切れますか?それを証明できますか?
できないんです。だって誰も過去に行けないし、確認のしようがない。
友人と一緒に食べたから間違いない?では、その友人とたまたま同じ夢を見ていたかもしれない。そんな偶然あるわけない、と思うと思いますが、100%起こらないとも言えない。
そう、言いたいのはズバリ、100%起こったと言える出来事も無いんです。
99.99%言い切れても、0.01%間違っている可能性がある。
起こった事が真実であるならば、あなたの記憶から取り出される情報は、それを五感で捉えて記憶した事実でしかない。
真実と事実とは
ここで改めて、この記事で使っている"真実"と"事実"を定義しておきます。
真実・・・100%起こった(起こる)出来事
事実・・・真実と思われる事象を観測して得た情報
実は、世の中起きている出来事は全て真実だと思っていただけ。
それは真実ではない。真実らしいものを捉えた事実でしかない。
お分かりいただけますでしょうか?
でもし分かったとして、それが何なのか、という話し。
この考え方をいろんな事象に当てはめると、今まで気づかなかった物の見かたができるようになります。
次は、生と死について
何で泣くの?
なんで泣くんだろうって思ってた。
なんで泣くんだろう。
悲しいのは分かる。でも、泣いても何も変わらないじゃない。
泣いて悲しむぐらいだったら、考えないようにした方がいいんじゃない?
お坊さんにお経を読んでもらう横で泣く母見て、いつもそう思ってた。
父との思い出を、思い返して泣いてるのかな。。。
そんなに悲しいなら、思い返さないでよくない?
そう思ってた。
もうすぐ母の1周忌。もうこれまで、何回もお坊さんを呼んで来た。
仏壇を前に正座して、お坊さんのお経を聞く。
ただひたすらじっと聞く。
お経を聞いても何も分からないから、ぼーっと考え事をし始める。
そしたら、母との思い出がふとよぎる。
気がついたら、母の事しか考えてない。
病院でつらそうだったなぁ
その前はもう少し元気だったなぁ
あんときは悪い事言ったなぁ
もっと優しく声掛ければよかったなぁ
泣くわ、そりゃ。
そりゃ泣くわ。
母
今日夢に出てきた。亡くなってから、夢に出たのは初めて。
夢の中の母は、入院せず家にいたのですが、体調は相変わらず逆らえない運命と戦ってた。
そんな姿を見て、声をかける。
「大丈夫?今のうち、体が少しでも動くうちに、やっておきたい事無い?」
声を出すのも苦しそうで、返事は、首を振るだけ。
運命に抗う事もできず、ただ、受け入れるしか無い、という感じ。
結局、辛そうな母を見るから、そんな声をかける俺。
元気だったら、そんなこと聞かない。
死を間近にして、初めて掛けれる声。
もしもう少し長生きしてたら、この声を掛けるのが先に伸びただけってことに、この夢で気づかされる。
結局、一緒か。早いか遅いかなのか。
親が生きてるうちに大事にしろ。優しくしろ。周りには言ったけど、薄っぺらい。
優しくなんて出来ない。ずっと強い母だったから。なんでも乗り越えると思ってた。
だから、元気なら掛けれない、こんな声は。こんな気遣いは。
本当に生きてる?
生きてますか?
一週間前のご飯、覚えてますか?
一週間前の事、何も覚えてませんか?
一週間前、生きてたんですか?
忘れて行く過去、忘れて行く人生
それって生きたことになってるのかな?
今、生きてますか?その今は、もう過去になって忘れてませんか?