死を意識する
死を意識することで、生がより充実するだろう
何故か。
人は、意識があるとき、常に生きている。
そのため、生きている、という状態は、当たり前すぎて、生きていることには中々意識が向かない。
生きている事を意識する時があるとすれば、いつだろう。
例えば、病気で苦しい時や大きな事故にあった時、そんな時に死を意識するだろう。
そしてそれが翻って、生きていることを喜べる。
そう、つまり、死を意識した時にようやく生を意識できる。
ということは、逆に、普段の何気ない生活の中で、もっと死を意識できれば、より生が充実するはず。
かの有名な経営者も、明日死ぬとしたら今日何をするかを毎日自問自答していた、というエピソードもこれに通じる。
死を意識することは簡単ではない。リアルに感じるなら尚更難しいかもしれない。
しかし、一つ確実に言えること。
それは、明日死ぬかもしれない、ということ。
その可能性はゼロではない。誰にでも起こりうる。
死は恐れよう、ということではない。
死に怯えて、生を縮小させては意味がない。
ただ、今日、"今"を生きてることに少し感謝するぐらいならできるはず。
ただただ過ぎていく毎日、その中で、少しでも死を意識しよう。
生と死は、コインの表と裏。常に裏の存在があるというだけ。それを意識するだけで、より生が充実するだろう。