人に生も死も無い
前回の続き。
世の中の出来事全てが、真実ではなく、事実でしかない。
だとしたら、生きている、とは何でしょうか?
死んでいる、とは何でしょうか?
そりゃ生きてるっていうのは、例えば目の前で動いてる人はみんな生きてるでしょう、と思うと思います。
では、目の前に居ない、遠く離れて過ごしている人たちはどうでしょうか?生きていますか?
生きている(ことを確認する)ということは
例えば、あなたは、一人暮らしを始めたばかりの男子大学生です。始まったばかりの新生活に気持ちも慌ただしく、実家で一人暮らしの母とも連絡をしばらく取っていませんでした。
ところが、その母親に突然の不幸が訪れ、亡くなってしまいます。一人暮らしだったため発見が遅れてしまい、様子がおかしいと思った近所の方がようやく気づいたのが、2日たった後でした。そこで初めて母の死を、あなたは聞かされた訳です。
さて、この例え話で大事なのは、母親が亡くなった事に気づいたのは、2日たった後だった、ということ。
では、この2日間、あなたにとって母は生きていたのでしょうか?
少なくとも、生きていると思っていたはずです。(意識していたかどうかは別として
でも、実際は亡くなっていた。
仮に母が生きているパラレルワールドが存在したとします。
この世界の2日間は、母にとっても、大学生のあなたにとっても、普段と変わらない健康で元気な2日でした。では、この現実世界の2日間と、パラレルワールドの2日間で、あなたの母の生存への意識に何か差はあるでしょうか?
無いはずです。
つまり、あなたが、母が生きているか死んでいるか、という認識は、(確認しない限り)実際の母の状態とは関係がないということが言えます。
もっと極端に言うと、不幸の知らせが2日後ではなく、1ヶ月後だったら、その1ヶ月間は、あなたは母が生きていると思っている状態が続きます。
さらに、これがもし1年後だったら?10年後だったら?一生続いたら???
母が生きていたとしても一生(間接的にも含めて)連絡を取らなければ、それは、生きていると言えますか???逆に言えば、連絡を取らなくなった瞬間から、亡くなっている状態と変わらないのでは?
母が死んだ場合と、生きている場合の違いとは?
では、生きているとは?
つまり、生きているという真実は(確認するまで)存在しない。生きているであろうという事実しかないのです。
100%生きている
これは、前回述べましたが、あり得ません。あなたが確認したつもりでも、確認出来たと思っても、確認したという事実しかありません。生きている、という真実はありません。
つまり、生きているという真実(またはその逆の死んでいるという真実)も、無いんです。
生きているのと死んでいるとの差は何でしょうか?
どちらもそんな真実は無いので、同じようなものです。
ただ、生きていたら、会えます。会ったときに記憶に新しい母の情報が付け加えられます。少し老けた様子や、相変わらず頑固な性格。あなたの記憶の中の母の情報が更新されます。母の事を思い返したとき、新しい情報がより鮮明に蘇るでしょう。
一方、死んでいたら、会えません。会えないので、記憶が更新されません。母を思い返すと、生きていた頃の記憶で、あんな性格だったなー、あんな服装していたな、と思い出します。
二つの違いは、わずかたったこれだけ。記憶の鮮度が変わるだけなんです。
ただ、生きていたって、会わなければ、更新されません。
死んでいたって夢の中にでてくれば、更新されます。
真実なんて無いんです。
あなたが、その手で、目で、匂いで、感じた事実しか無いんです。